はじめに
上段エンジンの再着火は、ペイロードを目的の軌道に精密に投入するための不可欠な技術だ。単一の燃焼だけでは到達できない高軌道やGTO(静止トランスファ軌道)、惑星間遷移軌道への投入には、コースト(無推力飛行)期間を挟んだ複数回の燃焼が必要になる。本記事では、再着火が必要となる力学的背景から、点火方式、微小重力下での推進剤管理技術までを解説する。
なぜ再着火が必要か
軌道力学上の要求
ペイロードをLEO(低軌道)からGTO(静止トランスファ軌道)へ投入する場合、ホーマン遷移に基づく2回の速度増分(ΔV)が必要だ。
- 第1回燃焼: LEOパーキング軌道を確立
- コースト飛行: 適切な軌道位置まで慣性飛行
- 第2回燃焼: GTOに遷移するための加速
直接投入(1回の長時間燃焼)は推力方向の変化による重力損失が大きく、ΔV効率が低い。コーストを挟むことで最適な軌道位置・方向から加速でき、ペイロード能力を10〜20%向上させることができる。
マルチペイロード・デプロイ
近年のメガコンステレーション展開(Starlink等)では、異なる軌道面に複数のペイロードを順次デプロイする需要が急増している。Falcon 9の上段はMerlin Vacuum (MVac) エンジンの再着火により、1回の打上げで複数の軌道面にStarlink衛星を展開できる。
点火方式の種類
自着火推進剤(ハイパーゴリック)
自着火推進剤(ハイパーゴリック推進剤)は、燃料と酸化剤が接触するだけで自発的に着火する組み合わせだ。UDMH/N₂O₄ が代表的で、プロトンロケットの上段ブリーズMなどに使われている。点火器不要で信頼性が極めて高いが、毒性が高く取り扱いに注意を要する。
TEA-TEB点火
SpaceXのMerlinエンジンやRaptorエンジンでは、TEA-TEB(トリエチルアルミニウム-トリエチルボラン)を噴射して点火する方式を採用している。TEA-TBは空気や酸素に触れると自然発火する自然発火性液体で、少量を噴射するだけで確実に着火する。TEA-TEBの搭載量が再着火回数の上限を決定する。
トーチイグナイタとスパークイグナイタ
トーチイグナイタは小型の副燃焼室で少量の推進剤を燃焼させ、その火炎で主燃焼室を点火する方式だ。RL-10エンジンで使用されており、水素と酸素をスパークプラグで着火してトーチ炎を生成する。
スパークイグナイタはLE-5B(H-IIA/H3上段)で採用されている方式で、高電圧スパークで直接推進剤を着火する。構造がシンプルで、電力があれば何度でも再着火可能だ。
| 点火方式 | 再着火回数制限 | 信頼性 | 代表エンジン |
|---|---|---|---|
| ハイパーゴリック | 推進剤量が続く限り | 極めて高い | ブリーズM |
| TEA-TEB | TEA-TEB搭載量に依存 | 高い | Merlin Vac, Raptor |
| トーチイグナイタ | 電力・推進剤で制限 | 高い | RL-10 |
| スパークイグナイタ | 電力で制限 | 高い | LE-5B |
微小重力下の推進剤管理
アレージ問題
再着火の最大の技術課題は微小重力下での推進剤管理だ。コースト期間中は無重力状態となり、タンク内の液体推進剤が自由に浮遊する。エンジン再着火時にポンプ入口に確実に液体を供給できないと、気泡を吸い込んでポンプキャビテーションや燃焼不安定を引き起こす。
セトリング(沈降)技術
再着火前にタンク内の推進剤を一方向に集めるため、以下の手法が用いられる。
- スラスタによるセトリング: 小型の姿勢制御スラスタ(RCS)を噴射して微小な加速度を発生させ、推進剤をタンク底部に沈降させる
- PMD(Propellant Management Device): 表面張力を利用した金属メッシュやベーンをタンク内に設置し、推進剤を出口近傍に保持する
- タンク加圧: ヘリウムガスでタンクを加圧し、気泡を推進剤から分離する
Falcon 9上段ではRCSスラスタによるセトリングが標準的に使われ、再着火前に数秒間のスラスタ噴射で推進剤を安定させる。
技術的なポイント
基礎知識
- GTO(静止トランスファ軌道): 近地点LEO、遠地点静止軌道高度35,786kmの楕円軌道。GEO投入の中間ステップ
- ホーマン遷移: 2回のΔVで円軌道間を遷移する最もΔV効率の良い手法
- チルダウン: 極低温推進剤を使うエンジンの再着火前に、配管とポンプを冷却する工程
- セトリング: 微小重力下で推進剤をタンクの一方向に集める操作
応用例
- RL-10(ULA Centaur上段): トーチイグナイタによる最大7回の再着火能力。50年以上の運用実績
- LE-5B(JAXA H3上段): スパークイグナイタ方式。エキスパンダブリードサイクルで簡素な構造
- Merlin Vacuum(SpaceX Falcon 9上段): TEA-TEB点火。Starlink展開で複数回再着火を常用
- Raptor Vacuum(SpaceX Starship上段): 宇宙空間での再着火で月・火星遷移を計画
まとめ
上段エンジンの再着火は、多様な軌道投入とマルチペイロード展開を支える基盤技術だ。点火方式の選択(ハイパーゴリック、TEA-TEB、トーチ、スパーク)と微小重力下の推進剤管理が技術的な核心である。液体ロケットエンジンのターボポンプへの安定した推進剤供給を微小重力で確保する技術は、今後のStarship宇宙空間再着火や核熱推進の軌道上運用にも直結する重要な分野だ。
コメントを残す